新年明けましておめどうございます。
2015年の幕開けは、クラシック界の新進マエストロ、グスターボ・ドゥダメルです。



クラシック音楽とはしばらく距離を置いていたのですが、何年振りかで聞き返すようになり、昨年からポツポツと投稿も始めました。まず感じたのが、知らん名前のアーティストがレコード界を席巻していること。前に書いたユジャ・ワンしかり、そして今回のドゥダメルしかりです。

ユジャ・ワンはすんなりと"入ってきた"のですが、ドゥダメルの方はピンとこなくて棚上げにしていました。どんなに話題のアーティストでも、自分が受け入れていない状態では記事にしない・・・これは僕のささやかなスタンスです。

で、今回取り上げるに至ったのは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴いて彼のパフォーマンスを理解したから。クラシック音楽では、指揮者と作曲家の相性は実に大切で、この波長が合った時に最高の説得力を聴き手にもたらします。

彼のベートーヴェンを聴いても、マーラーやチャイコフスキーを聴いても、どこが良いのか判らなかったけど、R.シュトラウスだとグイグイ惹きこまれてしまう。それは何故なんだろう?と思っていたところ、このEPKを見て成程と思いました。

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つまり、彼のバックボーンでもある異質性や異端性がそうさせるのでは?と。逆に言うと、この作品には、何の柵(しがらみ)にも囚われない新しい視点(脱・伝統)からのアプローチが必要だったのでしょう。正直、これ程までに感動的で官能的なツァラトゥストラを聴いたのは初めてです。

ドゥダメルは、クラシック音楽からは辺境とも言える南米のベネズエラ出身。しかも貧困層の学生が多いエル・システマ(公的融資による音楽教育組織)で研鑽を積んだと聞きます。ラテン民族の持つ大らかで深刻ぶらない表現が、R.シュトラウスの自然描写と相乗したのでしょうか?

彼の演奏を聴くと、冒頭の動機が地球太古の運動の如く、地響きを伴って聴こえてきます。ここに自然倍音列の音程を使った作曲家の意図までも透けて感じ取れる・・・正しい演奏解釈は作品理解の一助となることを改めて感じた次第です。



最後に、これもベルリン・フィルを振った「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を埋め込んでおきます。昨年がR.シュトラウス生誕150周年だったのには気付かず仕舞いでしたが、今年はドゥダメルの演奏で三昧!と行きたいもんですね。